『からすのパンやさん』にでてくるパンをくわしくかいせつします
28 テレビパン
あしのぶぶんがななめの、こんなかたちのブラウンかんテレビがつかわれていたのは、いまから60ねんいじょうまえです。
そのころはまだ、うつるがめんはいろがなくて、しろとくろでした。テレビはねだんがたかく、1か月(いっかげつ)はたらいてもらえるおかねとおなじくらいでした。
それからあしのぶぶんがななめではない、かぐのようかたちのテレビがでてきて、がめんはいまとおなじに、カラーでほうそうされるようになりました。
昭和時代(しょうわじだい)のテレビです。がめんの右や下にあるのはチャンネルをえらぶボタンです。
リモコンそうさではなく、てでボタンをおしたりまわしたりしてえらびました。
さいしょのころのテレビは足が外側に開いていました
小さい子はテレビの中にひとがはいっているとおもうようです。
かこ先生がテレビにうつっているのをみて、小さなまごは「じいじがテレビの中にいる!」といいました。
オープンリールデッキ
ブラウンかん
VHFアンテナ(むかしのタイプのアンテナです)
この頃(ころ)のテレビ放送(ほうそう)は東京(とうきょう)タワーやたかいテレビ塔(とう)から、おくられ、家(いえ)の屋根(やね)のアンテナにとどいて、みえるしくみでした。
1964年の東京(とうきょう)オリンピックをきっかけにカラーテレビをかう家(いえ)がふえましたが、カラーテレビがあるのはいえのかずの10ぶんの1くらいだったそうです。
えは『とつぜんきえたテレビジョン』(童心社)より
ブラウンかんのしくみ
えは『ふしぎな化学の大サーカス』より
テレビはいまのようにうすい液晶(えきしょう)パネルではなく、ブラウンかんというおおきな部品(ぶひん)がつかわれていました。なのでむかしのテレビは箱型(はこがた)でした。その時代(じだい)にかかれた絵本(えほん)なので、ブラウンかんのせつめいがのっています。
図(ず)をごらんください。電子銃(でんしじゅう)から出(で)た電子(でんし)ビームが画面(がめん)の蛍光面(けいこうめん)に当(あ)たり、蛍光物質(けいこうぶっしつ)が光(ひか)り、画像(がぞう)が見(み)える仕組(しく)みです。
電子銃(でんしじゅう)の電子(でんし)ビームはそのままだとぜんぶまっすぐ飛(と)んでしまい、画像(がぞう)がうまくみえないので、偏向(へんこう)コイルという部品(ぶひん)で電子(でんし)ビームがとぶ向(む)きを調整(ちょうせい)し、うまく画像(がぞう)が見えるようにしています。
また、すべての色(いろ)は青(あお)、赤(あか)、黄(き)という色の三原色(さんげんしょく)がもとになっているので、蛍光面(けいこうめん)の蛍光物質(けいこうぶっしつ)にも使(つか)われていることが説明(せつめい)されています。
『あがりめさがりめだいじなめ』(童心社)より
『とつぜんきえたテレビジョン』(童心社)より
スタジオのカメラ
スタジオのマイク
ロケ車(しゃ)がさつえいげんばにいくようす
実況(じっきょう)ちゅうけい
これは1967年にかかれた『たいふう』(福音館書店)からです。
このころ、日本ではまだアナウンサーのうしろにえをうつすことはできませんでしたが、アメリカなどではそのようなことができていたので、かこ先生は日本でもそうなるだろうと、いちはやく、えほんのなかにあたらしいほうほうをかいています。
みなさんはテレビ局(きょく)のスタジオのようすをみたことがありますか。
これはかこ先生がテレビきょくで番組収録(ばんぐみしゅうろく)したときのようすです。スタジオはくらいのですが、うつる人(ひと)だけ上からスポットライトをあててあかるくしています。かこ先生がテレビ・カメラのほうにかおをむけているようすがみえますね。
(写真:加古総合研究所 1967年撮影)
いま、外国(がいこく)の劇場(げきじょう)のようすを、テレビのカメラがうつしています。カメラとマイクがとらえた光(ひかり)と音(おと)の強弱(きょうじゃく)が、電気(でんき)の流(なが)れの強弱(きょうじゃく)に変(か)えられます。
その電気(でんき)の流(なが)れは、マイクロ波(は)とよばれる短(みじか)い波長(はちょう)の電波(でんぱ)に変(か)えられ、空中(くうちゅう)をとんで、はなれたところにある通信所(つうしんじょ)にとどきます。
通信所(つうしんじょ)では、とどいた電波(でんぱ)の力(ちから)を強(つよ)くして大きなおわんのかたちをしたアンテナの中心(ちゅうしん)までみちびきます。
この大きなアンテナは、見(み)える範囲なら宇宙(うちゅう)のどの方向(ほうこう)にも自由(じゆう)に正(ただ)しく、おわんの向(む)きをむけることができます。そして、電波(でんぱ)をおわんの向(む)いた方向(ほうこう)へ、まっすぐに送(おく)りだすことができます。
電波(でんぱ)となったテレビの光(ひかり)と音(おと)は、こうしておわんのアンテナから宇宙(うちゅう)の一点(いってん)にむかって、送(おく)りだされました。
ぶんとえは『できるまで とどくまで衛生通信』(みずうみ書房)
こうしていまでは、えいせいによってテレビうつすようになりました。
1969年7月16日アポロ11号が月(つき)にちゃくりくしたようすもテレビでうつしだされ、世界中(せかいじゅう)のひとが宇宙(うちゅう)からの放送(ほうそう)をみました。
ペンギンちゃんほいくえんクイズのこたえ
ふたごは、
5と35、8と31、9と19です。
たくさんのなかからみつけるのは、むずかしかったかな?
もういちど上のえでたしかめてください。
ほうでんとうからの電波(でんぱ)をうけてうつるかみなりちゃんのまちのテレビ
『だるまちゃんとかみなりちゃん』より
テレビパン クイズ
「からすのパンやさん」におおいそぎでむかうテレビ局(きょく)の名前はなんでしょうか?
① ユウヤケ・テレビ ② クロクロ・テレビ ③ アカアカ・テレビ ④カアカア・テレビ